モンゴル、カリブ海と日本 村田良平大使のこと

1.夏の参院選
 安倍政権の支持率は3ヶ月連続して上昇した。これ以上ないほどのロケットスタートだった。自民党河村建夫選対委員長は3月16日の全国幹事長会議であいさつし、夏の参院選で非改選議席を含めて自民、公明両党が参院過半数を回復するため53-54議席を目標とする考えだという。
 その水準は2月の初めに自分が予測した数字と同じだった。手堅くみたのだろう。一人区では岩手、山梨、三重、滋賀、奈良、沖縄の6選挙区は苦戦すると観ているようだ。比較第一党は一人区で平均7つ取りこぼすというのが自分の見方だった。全国区の投票先の45%が本当に自民党に行くのならば、選挙戦略よろしきを得れば、全国区で22議席取る可能性が出てきた。更に選挙区選挙では今まで複数擁立しないとしてきたが、千葉で2人目の候補を公認した。共倒れを避けながら、候補の魅力度もあるが、同じ選挙区でどう2人目を当選させるかが党の選挙参謀の評価と言えないこともない。まだ100日以上あり、定かにはわからないが、これからは全国区で、知名度・集票力・組織力に優れる候補をどこまで浮上させるかが戦いなのかもしれない。現時点では、54議席を確保し「選挙区で42全国区で22」の64議席を目指し運動中というところだろう。 
2.モンゴルと日本
 安倍晋三首相が3月末にモンゴルを訪問し大統領と会談するという。働きすぎで大丈夫かと心配になるほどだ。レアメタルなどの鉱物資源開発で協力を確認する考えだという。中国を牽制する狙いもあるだろうが、モンゴルは北朝鮮とも国交がある国だ。そうしたことも訪問の理由の一つだろう。個人的にはそこに大きく期待している。
 モンゴルは親日国であり、「日本に国として親しみを感じる」との回答は国民の7割を超えているという。大相撲は毎日、アジア・オセアニア中南米には生中継で放送され、ヨーロッパ、北米・ハワイなどでも放送されているという。モンゴル出身の大相撲の力士の性格も様々で、それぞれに御贔屓がある。司馬遼太郎の小説から飛び出したジンギスカン時代の豪傑タイプもいれば、人情派もいる。文化は大きく違うはずなのに、その心根や人柄に共感できるのはなぜなのだろうか。やはりチベット仏教の影響だろうか。
 安倍首相のご先祖は奥州の安倍家であり「安倍宗任」は前九年の役で破れ、九州松浦や伊予に配流となり最後は宗像氏に仕えたという。そしてその子孫が平清盛の側近となり、戦いに負けて長門市油谷に落ち着いたとされる。水軍系の武士なのである。ご先祖の一族には松浦党として蒙古襲来で戦い大活躍をした人もいるといわれている。
 北鎌倉の円覚寺鎌倉幕府8代執権北条時宗は1278年に、文永の役(1274年)の戦没者の菩提を弔うためと、己の精神的支柱となった禅道を広めたいと願い円覚寺を創建した。文永の役に続いて弘安の役も起き、弘安の役(1281年)の戦没者の慰霊も円覚寺の役目となった。弘安2年(1279年)に来日した無学祖元が開山に招かれた。日本兵ばかりでなく、蒙古・高麗の兵士の慰霊も行なわれているところが、日本らしい。
 モンゴルの面積は156万平方キロと日本の4倍で、人口は278万人と広島県京都府の人口とほぼ同じだ。一人当たりのGDPは2300米ドル程度だという。政策的には、①農牧・軽工業国から資源輸出国への脱皮、②中国・ロシア以外の第三国との関係強化、③市場経済化で崩壊した農業の復興による食糧自給率の向上が課題だという。
3.カリブ海と日本
3-1 オランダはどこか
 ワールド・ベースボール・クラシックで、日本は準決勝でプエルトリコに敗れた。もう一つの試合ではドミニカが、オランダに勝った。オランダは欧州選手権の雄とのことだが、カリブ海オランダ領アンティルの出身者がいるのだろうと思っていたが、オランダ領アンティルにも2つの地域があるのを知らなかった。カリブ海の南側の南米大陸の北端ベネズエラの沖合いにあるアルバ、ボネール島キュラソー島などのABC緒島のことばかりだと思っていたが、ドミニカ、プエルトリコの東側に延びる島々が南北に方向を変えるリーワード諸島にもオランダ領土があった。それは、シント・マールテン島(ダッチサイド)、シント・ユースタティウス島サバ島である。更に素人には厄介なことに、アルバ、キュラソー島シント・マールテン島(ダッチサイド)は、オランダ王国には属する対等の国であって、その下のオランダ本国には属さない。つまり、ボネール島シント・ユースタティウス島サバ島だけが、依然としてオランダ本国に属しているということなのだそうだ。規模はだいぶ違うが、英連邦と英国との差ということなのだろう。今度のオランダチームがどちらのくくりで出ているのかわからないが、野球には、米国のほかに、東アジアとカリブ海という2つの中心地域があることがわかった。
3-2 カリブ海
 米国フロリダ半島の南端にあるキーウェストからキューバハバナへの距離は166キロだそうだ。東京から直線距離でいうと静岡が150キロ、浜松が210キロである。フロリダ半島の東南にはバハマ諸島がある。1973年に英国から独立して英連邦のバハマ国となったが、カリブ海には面していないが、その南西にはキューバが、南東にはハイチがある。バハマ諸島は700の島々と2,400の岩礁からなるサンゴ礁であり、30の島々に34万人の人が住み、観光とタックスへブンが主たる産業である。
 カリブ海の南辺は、西からパナマ、コロンビア、ベネズエラ、西辺は、南側からコスタリカニカラグアホンジュラスグアテマラベリーズ、そしてメキシコのユカタン半島である。ホンジュラスの太平洋岸にはエルサルバドルがある。また北辺は、キューバイスパニョーラ島のハイチとドミニカ共和国プエルトリコといった大アンティル諸島に、東辺は小アンティル諸島が接している。キューバの南方海上にジャマイカがある。大アンティル諸島小アンティル諸島が交差するあたりに、オランダ領のリーワード諸島がある。
*人口は、パナマ 350万人、コロンビア 4600万人、ベネズエラ 2900万人、コスタリカ460万人、ニカラグア 570万人、ホンジュラス 750万人、グアテマラ 1400万人、ベリーズ 31万人、メキシコ 1億1千万人、エルサルバドル 620万人。キューバ 1100万人(北海道の1.3倍の面積)、ハイチ 1000万人(長野県の2倍の面積)、ドミニカ共和国 1000万人(九州と沖縄をあわせた面積)、プエルトリコ 370万人、ジャマイカ270万人(新潟県より少し小さい面積)。
3-3 ハイチ地震復旧支援への自衛隊の貢献
 ハイチにはかつて栄光の歴史があった。1492年、コロンブスイスパニョーラ島を発見し、ハイチはそのままスペインの植民地となった。その後、島の西側3分の1はフランス領となり、フランスは西アフリカから50万人を超える黒人を奴隷として移入させ植民地経営をした。一時、フランスの植民地の中で最も繁栄し、"カリブ海の真珠"と呼ばれていた。1804年に独立した世界初の黒人共和国がハイチだという。しかし近年は政情不安続き、治安も極度に悪化していた。
 2010年1月12日、中南米ハイチ共和国にM7の地震が発生した。震源が13キロメートルと比較的浅い直下型の地震だった。この地震による死者31万6千人を越え、被災者は70万人と言われた。自衛隊医療部隊は1月20日100名規模の部隊を派遣して、現地で救護活動に当たった。さらにインフラの緊急復旧のための陸上自衛隊の施設部隊300人の派遣し、最盛期は1000名に上る部隊が現地で活躍した。2年半の活動ののち、復旧の見通しがたったのでとのことで、撤収することになった。2013年1月25日に撤収支援要員の帰国が完了した。
 派遣された自衛隊は、仮設住宅を建設し、ガレキ撤去、道路整備、医療分野などで貢献し多大な成果を挙げた。高い技術力、志気、ひた向きな貢献の姿などは、ハイチ国民や政府、そして他国の軍隊等、一般市民などから高い評価を得ているという。それには、政府開発援助とJICAのノウハウと自衛隊を組み合わせることで、さまざまな仕事ができることが大きかったからではないだろうか。 例えばハイチで日本は自衛隊と無償援助を組み合わせ孤児院をつくったが、これは普通のPKO部隊にはできないという。PKO予算がほとんど部隊の人件費と施設費だからだ。基地を整備しヘリポートをつくるといったもので、復興支援をする余裕はないという。治安維持と復興支援活動のバランスが必要なのだろう。
3-4 国際NGOへの批判 自主性と効率性と住民の自立
 ハイチの自衛隊PKOのことを調べているときに、興味深い指摘を見つけたので今後の参考のために要約しておく。実は国連が、このハイチへのPKO駐留延長を決定する前に、PKOと国際NGOの即時撤退を求める声がハイチ内外にあったという。復旧が遅れているのは、国連機関も国際NGOも互いに競合しあうだけで、全世界から集めた寄付・税金・物品を、効率的・合理的に、現地のニーズに合わせて配分していないという批判である。援助を受け入れる側の政府の統制力が弱すぎるということもあるのだろう。国際NGOの活動には何の調整もなく、クライアントの争奪戦を展開して、結果的にハイチの人々を管理し統治しているとの批判である。
 60ヶ国以上の国から、1万組織以上の国際NGOが、カリブの最貧国であるハイチに集まっているという。世界から集められたハイチ復興支援募金総額の、3分の2が、こうした国際機関や国際NGOのスタッフの高額な給与、現地駐在費、募金を募る広告料、ハイチ以外で活動するための資金として消えているという。
3-5 日本にとってカリブの国々
 実はカリブ海のことに関心を持ったのは野球が切っ掛けだというわけではなく、日本財団の特別顧問だった村田良平大使(1929-2010年)が書かれた「海洋をめぐる世界と日本」(成文堂、2001年)を愛読しているからである。海のことについては340頁の中にほとんど全てのことを網羅しているような本である。メタンハイドレートも海洋温度差発電もこの本から教わったことも多い。船舶の無害通航権はright of innocent passageというが、日本は実態上他国の軍艦に対して無害通航権を認めていても、「中国は中国領海における無害通航権を認めていない」こと、国際海峡においてはright of transit passageと呼ぶというようなことがさらりと書いてある。
 そしてカリブ海の国々と南米、中米の国々は、国連や国連機関において日本を応援してくれる国だという。2000年のオーストラリアのアデレードで開催された国際捕鯨委員会(IWC)で南太平洋全域を捕鯨禁止区域にしようという提案があり、日本が反対を表明したときに、一緒に反対してくれたのが、カリブ海の6つの小さな国だったという。この議案は3/4以上の賛成を必要とするので採択されなかったという。
 海に関する国際機関も様々あるが、国際海底機構(International Seabed Authority)の事務局がどこにあるかを知っている人は少ないと思う。ジャマイカキングストンに本部がある。深海底鉱物資源の概要調査・探査に関する規則が採択される機関である。マンガン団塊や熱水鉱床の探査を申請する国際機関である。
3-6 村田良平大使のこと
 村田大使は2008年に回想録を出された。村田さんの本には嘘やへつらいがない。村山談話は「日本の無用の自虐行為」だったと評価をされた。「日本国民は、60年以上前に終わっている大東亜戦争について謝罪めいたことを述べるのを今後一切やめるべきである。既に出てしまった村山談話の引用も一切止めるべきだ。・・・総理の側近なら何をかいわんやであるが、外務省が源であれば、その担当局長は愚か者であり、臆病者だ。今後外務省は明確に『日本の謝罪は十二分に済んでいる』との信念の下に仕事をしてもらいたい。・・・私が村山談話の取消しを主張するのは、・・・村山であれだれであれ、・・・240万の戦死者と80万の民間の犠牲者の名において、他国に『痛切な反省とお詫びの念』を表明することなど決して許されることではない。」
 「過去の戦争について評価するには、あくまで昭和初年から開戦までの全世界的な雰囲気を知らねばならない。・・・歳以下となると、必ずしも全面的ではないが、米国占領軍の導入した史観をそのまま受け入れている人々が多い。さもなくば、ひろくはマルキシズム思想一般、狭くは戦前からのコミンテルン主導の妄説(ということは過去50年以上、朝日新聞等の偏向メディア、NHKの一部、岩波書店、人文系東大教授の半分以上の唱えてきた史観や社会観や国際情勢観)の影響が直接、及ぶか、あるいは日本共産党社会党日教組全共闘等、左傾した組合の説を信じこんだ教員の教育によって過去の日本を誤った目で見てきた人々だ」と書いた。
 少し遅れてしまったが、カリブ海のこと、村田良平大使のことを書きたいと思った3月18日は、彼の祥月命日だった。