3月11日と4月28日の式典

1.3月11日と4月28日の式典
 3月11日の東日本大震災の追悼式には台湾代表をお迎えし「指名献花」をいただいた。パレスチナ代表の隣の席だったという。菅義英官房長官の過不足のない言葉にはいつも頭が下がり共感を覚える。「台湾からの破格のご支援にふさわしい対応が必要」とした上で1972年の日中共同声明の台湾に関する日本の立場に変更はないと中国に伝えていたという。
 中国が反発して欠席したことについて、「中国側の対応は、台湾各界からわが国に行われた支援に感謝の気持ちを伝えることを否定的にとらえたものであり、残念だ」と言ったという。本当にそうだ。韓国も欠席したという。北朝鮮との対応でいそがしいのだろう。あるいは事大主義の国なので仕方がないともいえる。顔つきは似ていても、中韓とは冠婚葬祭についての考え方が違うので仕方がない。
 そのニュースが報じられた時に、家内が何時になく、2012年4月の春の園遊会天皇陛下が台湾の代表をお招きし、台湾からの厚い支援に感謝の言葉を述べられていたことを口にした。畏れ多いことではあるが、陛下の存在が3月11日を機に一段と大きいものに感じられるようになったのは我が家ばかりではないと思う。
 普通の国と同じに、建国神話を教え、仁徳天皇聖徳太子の故事もきちんと教え、近現代史は、良いことも悪いことも含めて植民地の真実、大東亜戦争の真実も、もっときちんと教えれば、もっときちんとした国になる。笑い声と歌声があふれるのびのびとした明るい国になる。そんなことを多くの国民に確信させてくれたのが、民主党の3年3ヶ月の教訓だった。
 西村真吾さんのブログも印象的だった。抜粋引用する。「世界は、二年前の東日本巨大地震津波のすさまじい被害に驚いたが、さらに驚いたのは被災地の日本人の姿だった。この世界が驚く被災地の日本人の姿と「天皇の御臨席」は不可分だった。日本人は、天皇との絆のもとに秩序を維持する民族である。このことは、昨日の追悼式にも顕れていた。参列した世界各国の外交官は、日本人以上に明確に感じ取ったはずだ。・・・追悼式は、天皇皇后両陛下御臨席、次に官房長官の開式の辞そして国歌斉唱と発災同時刻の黙祷で始まった。・・・式に出席する衆参議員は、会場到着は一時四十分頃。総理や閣僚もその頃到着し着席。多くのご遺族や多数の在京各国外交官も着席。そして、天皇陛下のご到着まで四十分間、深い静寂のなかで全員が御臨席まで待機していた。・・・この静寂の時間によって被災者の霊と式場が一体化した。そのうえで、式場は最高の祠祭者であり危機管理者である統治者即ち天皇陛下をお迎えしたのである。」
 政府は翌日3月12日の閣議で、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効を踏まえ、「日本の主権回復と国際社会復帰」を記念する式典を4月28日に政府主催で開催することを決定したという。安倍首相は閣議で、「奄美、小笠原、沖縄が戦後一定期間、我が国の施政権の外に置かれた苦難の歴史を忘れてはならない。沖縄の基地負担の軽減に取り組むとともに、奄美、小笠原、沖縄を含めた我が国の未来を切り開いていく決意を新たにすることが重要だ」と述べた。
 それらの地域は米国軍政下に置かれ、本土にくるにもパスポートが必要だった。ただ入国の際にパスポートに押されるゴム印には「日本国への帰国を証明する」と記されていたという。
 沖縄の左派には、この4月28日を日本が独立を回復するため沖縄を米国に売り渡した「屈辱の日」などと叫んでいるという。彼らは、自らの政治を追及するあまり、あの沖縄の祖国復帰運動の熱気や思いを忘れた人たちのように思える。永久占領を目論んでいた米国が、沖縄を信託統治にせず軍政下においたことの意義は大きい。4月28日の日本の独立なくして、沖縄の祖国復帰は実現しなかったし、沖縄の返還なくしては日本の戦後は終わらなかった。後は北方領土竹島の返還交渉が残っている。
 昨年11月、両陛下は沖縄を8年ぶりに訪問された。初日に沖縄平和祈念堂と国立沖縄戦没者墓苑に赴き、慰霊の祈りをささげた。その日の提灯行列の様子は、NHKでは報じられず、youtubeでみた。12月の誕生日の会見では、多くの住民が犠牲となった沖縄戦に関し、「段々時がたつと忘れられていくということが心配されます」と述べ、戦争体験について「日本人全員で分かち合うということが大切ではないかと思っています」と言われていた。素直に頭が下がった。
2.辺野古の3月11日 名護漁協が「賛成88、反対2」で辺野古移設に同意
 普天間飛行場の名護市辺野古移設に向け、移設予定地に漁業権を持つ同漁協は3月11日、名護市内で総会を開き、埋立に同意することが賛成多数で決まった。今後、国と漁業補償などについて交渉するという。総会には同漁協の正組合員96人のうち委任含めて91人が出席。議長を除く90人の投票で88人が賛成した。
 組合員の男性は、「普天間基地をそのまま宜野湾市に置くのは危険だ。沖縄全体を考えて、どこが安全かといった場合に辺野古のほうがいいと思った。安全を考えれば、軍用機を飛ばすのは海の上のほうがいい」というが、この意見は県民の大多数だという。辺野古地区では「地元の7、8割は移設賛成だ。この通り産業も仕事もない。基地があれば集落も潤う。生活が第一だ。反対しているのはよその人ばかり。あそこも本土の人が半分で、地元の人はほとんどいない」という。「南の人は基地返還で街が発展するから、簡単に『基地はいらない』という。ここにあるのは山原と水だけで、企業誘致もままならない。基地と共存共栄する。そんな夢しか描けない場所なんです」という。
 政府は、米国政府との信頼関係を崩さないためにも手続きを進める必要があるとして、今月末にも沖縄県に埋め立てを申請する方向で最終調整に入ったという。