離着陸訓練 もう一つの基地問題 

 岩国錦帯橋空港が開港した。48年ぶりの民間航空機による定期便の復活だという。まずは関係者にお慶びを申し上げたい。基地移設というと普天間辺野古が思い出されるが、岩国も、空港の沖合い移設や空母艦載機の受入れでゆれてきた街だからである。
 基地移設の問題の論点は様々あるが、日本全体としては、普天間移設の問題のほかにも、NLP基地(Night Landing Practice 夜間離着陸訓練基地)をどこに置くのかという宿題が残っている。この問題が提起されてから既に30年が経とうとしている。
1.岩国錦帯橋空港の開港
 岩国市は山口県とはいっても、広島湾の西の入り口に位置し、地理的には、宮島や広島市と近い。海を挟んで、広島湾の東側には江田島、呉がある。岩国錦帯橋空港は、米国海兵隊海上自衛隊が使う岩国基地の滑走路を使った軍民共用空港として2012年12月13日に開港することとなった。岩国は、1993年に広島空港が三原市に移転したため、100キロ圏内に空港がない地域となっていた。
 岩国基地の滑走路は2年前にできた新しい滑走路である。旧滑走路は、その延長線上に大規模な石油コンビナートがあり、滑走路の横には商店街、住宅街が隣接していたこともあり、かねてよりその移転と滑走路の拡張付替えが検討されていた。1992年に「思いやり予算」からの支出が決まり、幾つかの案から「巨額な工事費を要し、非現実的な構想」とも言われた沖合移設が始まった。その後も様々な思惑の中で事業規模が拡大していった。埋立海域は錦川の三角州に位置しており、時間と費用のかかった空港建設だった。2010年5月には新滑走路の運用が開始されたが、総事業費は当初の850億円から最終的には2500億円となった。ちなみに来年3月に開港する石垣島空港は2000mの滑走路だが、374億円の事業費だという。
 民間飛行場としては、ビジネス需要と錦帯橋や宮島など観光需要をベースに年間で30-40万人の利用客が見込まれている。ANAが羽田・岩国の路線で1日4往復の就航を計画している。旅客ターミナルの空港業務はサンデン交通が、航空管制は米国海兵隊岩国基地が担当する。
2.岩国基地と米軍再編
 岩国基地を、テレビで初めてみたのは、今年の夏、沖縄に配備されるオスプレイが船から陸揚げされた映像だった。沖縄に配備される前に、岩国で最終整備をしていたところが話題になった。その際の退任直前の山口県知事や現在の岩国市長の言動は、門外漢がみると、失礼ながらかなり奇異な感じがしていた。山口県知事選挙を7月に控えていた微妙な時期だったからなのかもしれない。岩国市も沖縄と同じく、米軍再編にゆれる街であることと結びついたのは、厚木の騒音問題の記事を読んだ時だった。
 国側の方針に則って考えれば、在日米軍再編に伴って、嘉手納飛行場にかわって岩国基地が極東最大の米軍基地となるという。再編後は厚木基地の空母艦載機のF/A-18E/F( スーパーホーネット)と普天間基地の空中給油機KC-130ハーキュリーズが、司令部と整備施設とともに移転してくるのである。2012年8月に出された岩国市を含めた山口県の要望を読むと、岩国基地における航空機の運用にあたっては、騒音問題の少ない海上埋立て空港であるにもかかわらず、飛行時間を制限した上で、NLPは受け入れない旨が書いてあった。そうしないと市民の納得が得られないということなのだろう。
3.空母艦載機着陸訓練(Field Carrier Landing Practice FCLP)
 FCLPとは、米国海軍の用語で、空母の艦載機が陸上滑走路を空母の飛行甲板に見立ててタッチアンドゴーを繰り返す訓練をいう。日本では、夜間に行われる訓練を、特に夜間離着陸訓練(Night Landing Practice)と呼んで区別している。空母は、滑走路が300mしかないため、その離着陸には高い技術を必要とする。その錬度を維持するためには、一定の頻度で発着訓練を行う必要があるという。入港中には空母甲板上での離着陸訓練が出来ないため、陸上基地の滑走路を使用して離着陸訓練を行うことが不可欠だという。訓練は特に空母の出港直前に集中して行われ、滑走路の周囲を複数の機体が旋回しながらタッチアンドゴーが繰り返されるので、その近くに住んでいる人は堪らない。
 米国内でも空母入出港の前後の訓練の騒音が問題となり、人里はなれた遠隔地の飛行訓練場が使われているようだ。その飛行訓練場の条件は入港時に配備される基地から50海里(93㎞)以内にある2400m滑走路をもっていることが必要だとされている。横須賀基地を母港とする空母は、当初は、厚木でその訓練をしていたが、騒音が問題になると、三沢などに訓練を分散させたという。音の大きなスーパーホーネットが配備されてからは特に騒音問題が深刻化した。
 日本では、1991年から硫黄島の飛行場が暫定的に使われている。しかし厚木から1200km離れた硫黄島における訓練はパイロットにとっては過酷だった。空母が出港し軍務についているときなら仕方がないが、母港に入港している間は、仕事や訓練の以外は家族とすごす貴重な時間だからだ。そこで、前から非公式に要望していたこの問題を、1985年の日米首脳会談で、厚木から100海里 (185km) 以内の訓練用基地がほしいと日本側に要望が正式に伝えられたのである。
 既存の静岡の浜松、静浜、埼玉の入間、千葉の下総、木更津、館山、茨城の百里などの自衛隊の基地とともに、米軍の横田もこの要望に合うかどうか検討されたようだ。防衛施設庁は、1983年の時点で、内部的には、百里は現状のままで、下総と浜松は補強工事を行なえば使用可能との結論を出していたという。ただ候補地と結論付けると反対運動が大きくなるために、決めた訳ではなかったという。下総基地の周辺では、その段階で猛烈な反対運動が起きた。
 次に伊豆諸島と小笠原諸島が検討された。海上空港ならば、騒音の被害もかなり限定されるからである。その当時、ジェット機が就航できる空港がほしいと考えていた伊豆の三宅島が候補になった。村議会は誘致に動いたが、それを知った住民が反対運動を起こし、選挙に際して反対派の議員を選び、誘致決議が反対決議に変わっていったという。政府が三宅島に執着した理由は、当時の防衛白書に載っている。
 ①厚木から150キロの距離であること
 ②海岸に滑走路をつくり海に旋回コースを設ければ騒音を回避できること
 ③飛行コースの真下に住宅地区がなく被害の心配がないこと
 ④周辺が海ならば灯火の影響を受けずに空母と同じ夜間訓練ができること
 岩国の沖合移設された滑走路が、艦載機の基地になるならば、同時に、このNLP基地としての4つの条件を満たしているのかもしれないと思い当たった。それを地元が恐れているのかもしれない。三宅島の場合は気象調査を行なう機器の設置をめぐって、反対派の住民と機動隊との衝突が起きたという。最終的には、2000年から火山活動が活発化し、全島避難が始まり三宅島案自体が沙汰やみになっってしまった。
 次に海上浮体物構想(メガフロート)が検討されたものの、具体化しないまま1200キロ離れた硫黄島の暫定利用が始まった。岩国の海を挟んだ東側にある瀬戸内海最大の無人島である江田島市大黒神島(おおくろかみしま、当時は沖美町)に滑走路を建設したらどうかという話が浮上したのは2003年だった。それはいかにも唐突だったが、1年ほど前から町長の申し入れもあり、政府が検討してきたことだった。話が出てから、激しい反発にあい7日後に町長が辞任することとなった。ちょうど沖美町が合流する「江田島市」を作るための合併協議が進んでいたこともあった。大黒神島は無人島であり騒音の影響は最小限であり、土地のほとんどは町有地だったのでかなり政府には魅力的だった。しかし情報公開と住民の説得という段階までには至らないまま、話が無くなってしまった。
 2004年7月の審議官級の日米協議では、米側が厚木の艦載機を岩国に移したいという案を示したと報じられている。しかしこれはどちらが言い出したのかよく判らない。ただその後、NLP基地の移設問題は、関東の問題から、岩国を中心とした中国、四国、九州地方の問題になったことは事実である。横須賀港に、原子力空母を入れるために、もしかしたら神奈川県と取引したのかもしれない。米軍は、方針として在来型の空母を原子力船に置き換えていくのが既定の方針だった。
 2005年6月には岩国市議会は全会一致で「米海軍厚木基地機能の岩国移転に反対する要望決議」を採択した。10月、政府から岩国市に対し日米協議の現状説明があった。同時に、非公式に空母艦載機受入れの要請がなされた。11月には北原防衛施設庁長官が県と岩国市、由宇町に正式申し入れを行なった。このときは、ジェット機NLPはできるだけ硫黄島で行い、低騒音機のみ岩国で行うことが強調されたという。全くの推測だが、もしかしたらこの段階で硫黄島自体は、ダミーだったのかもしれない。岩国の南には愛媛の松山空港があり、西側の九州には北九州空港、大分空港など海に突き出たの海上空港があるからである。岩国市では、2006年1月になると受入れを容認する議員が増えたが、3月の住民投票と4月の市長選挙では反対派が勝った。この背景には岩国基地の沖合い移転に際し、NLP基地移設が密約されているのではないかという疑惑があった体という。
 2006年5月の日米安全保障協議委員会の「米軍再編に関するロードマップ」では、引続き、岩国への艦載機移転に関しては2014年(平成26年)を期限として行うことになっていた。NLPの恒常的な施設については2009年7月を目処に候補地の選定をすることになっていた。これは既に期限が切れている。
 防衛施設庁は、2006年12月には米軍再編推進法に基づいて交付される交付金の対象から岩国市をはずした。この補助金凍結を機に市議会では徐々に市長の艦載機受入れ反対姿勢を問題視する声が高まり、2007年に、その対立が深まり、2008年2月に新たな市長が選ばれた。凍結された補助金の年度内支給が行なわれ、岩国市は再び再編交付金の対象となった。これは厳しい見方をすれば「アメとムチ」の政策が功を呼んだと考えるべきなのかもしれない。沖縄にはあまりムチがふられることはないと感じるのは自分だけだろうか。2009年9月に発足した民主党政権は、当初、普天間基地移設も含めた米軍再編にかかわる日米合意を見直す立場をとったが、結局、「岩国への艦載機移転問題」については、今までどおりにと、2010年1月に発表されている。
 NLP基地の選定は、現在も宿題になったままだ。2007年2月頃から、岩国市から400㎞の距離にある鹿児島の種子島の西にある面積8.2平方キロの馬毛島NLP基地として浮上した。土地の99.6%は個人企業が保有していて実質的には無人島である。しかし馬毛島を行政区域とする種子島の北部に位置する西之表市(にしのおもてし)と鹿児島県は環境への影響と観光イメージの悪化を理由に反対しているという。
 馬毛島はほぼ無人島だが、時々の政府の利用を当て込んで注目されてきた政治的な島である。安くはないだろう。石油備蓄基地自衛隊の超水平線レーダー用地、日本版スペースシャトルの着陸場、使用済み核燃料中間貯蔵施設用地にあてこまれてきた。今はわずかに採石事業などが行われているという。2009年12月には、県外だからという理由で、普天間飛行場の移設候補地にもなった。2011年5月にはNLP基地の候補として用地交渉が開始されたようだ。まだ条件面で隔たりがあるようだ。NLP基地が必要とする面積よりもかなり大きく、11千人が働く東京の横田基地よりも少し広いので、他の用途にも活用されるかもしれない。2011年の日米安全保障協議委員会(2プラス2)において、FCLPの移転先として馬毛島を検討対象とすることが共同文書に明記されているという。
4.NLP基地の問題を通して考えたこと
(1)約束したことを着実に守ることが信頼の基礎であり、同盟の基礎である。機動部隊の中核である空母艦載機の抑止力を考えれば横須賀の艦船修理能力に加えて、適切な海軍航空基地を提供することが必要であること。
(2)司令部機能を除いて内陸部に飛行場を設けることはできるだけ避けたいこと。しかし首都圏では伊豆諸島を除いて、適切な臨海飛行場を求めることはかなり難しいこと。
(3)呉・岩国を中心とする中国・四国・九州地域には、岩国以外にも臨海飛行場があり、首都圏に比べればその他の適地も見出しやすいこと。また空母の主たる守備範囲が東シナ海南シナ海になりつつあること。
(4)沖縄の既存の市街地に隣接した基地の問題を解消するためには、代替基地の提供が不可欠であり、抑止力を損なわない範囲で移転・再編成する必要があること。
(5)現時点でのNLP基地の候補は馬毛島かもしれないが、他の可能性も引き続き追求すべきこと。全くの個人的意見であるが、大黒神島の北側の海にはカキの養殖いかだ並んでいるという。その島の南側や、北九州空港・大分空港・松山空港の地先活用の方法としてNLP誘致というのもあるのではないかと思えてならない。
(6)少し眼を先に転じれば、超大型浮体式構造物であるメガフロート技術に将来性があるのではないか。用地が不要、水深や地盤に関係なく海域を利用可能、耐震性に優れている、工期が短い、移設・拡張が容易、形状変更が容易、内部空間が利用可能、重量物設置が可能(追加補強工事が不要)であることは捨てがたい魅力である。実績がないことだけが問題視されていること。洋上空港や災害対応・救助用基地として、また瓦礫処理・ゴミ処理プラントや原子力発電所のベースとして発展させるべき技術ではないだろうか。土地取得費用がかからない分、景気の調節弁としても効果は大きい。
(7)米国においてもブラウン&ルーツから2000年にMOB(Mobile Offshore Base)と呼ばれる海上基地のコンセプトが発表されている。「仮にメガフロート施設を造れば、普天間基地那覇軍港、キャンプ・キンザー(牧港補給地区)の移設も可能だ」と考える米国高官もいた。移動可能な浮体を建造することによって軍事上のメリットがあるという考え方だ。これをシー・ベーシング構想などで海上事前集積船隊に導入を検討する動きもある。
(8)軍事上の必要性や技術的な制約もあるが、平時の住民を説得し納得させるための政治的な技術と力量が重要であることがわかった。人の少ない地域に立地を想定しても、経済的な利害だけでは納得しないし、全般的な理解力にも差がある。その際に、メガフロートを利用した期間限定的なトライヤルも新たな合意形成の手段ともなるのではないかと考えた。