私が感動した復興策  

 4日間で閉じる予定だった国会が2週間延長されたが、政府・民主党増税の議論ばかりしていて復興策について全く議論する気がないようだ。中央の省庁に東日本大震災に対する復興策を青天井で考えろといっているので、役人にお任せなのかもしれない。この半年に読んだり聞いたりした復興策で個人的に最も感動したのが伊藤滋先生の「東日本大震災復興計画の覚書」という論文だ。4月の半ばに書かれ6月に東大出版会から出版された「東日本大震災復興への提言」という本の中にある。その概要を紹介したい。
1.前言 
 千年に一度といわれる巨大津波が東北地方を襲った。その意味は、50年後に再び大津波がきて、あと1950年間来ない場合もあることを意味する。日本人の感覚として20年に1回はどこかで災害が起こるのが常である。人生80年として一生のうち1回は身近に大災害を経験すると考え、確率とは無関係に50年後に襲われる大災害に備えるという考え方が落ち着くのではないか。千年に一度の災害に全く被害を出さないようなハードだけの対策はできない。ハードとソフトを組み合わせてなるべく犠牲者を出さない防災対策を考えるしかない。子供・老人・病人は安全な場所で、健常者はリスクを覚悟しながら元気に仕事ができる場所に住み働いてもらうという原則で被災地の将来像を考えよう。 
2.先ず一括交付金を渡す 
 先ず復興の第一歩は使途を定めない交付金を被災者に渡すことだ。すなわち、職と家屋を失った被災者が1年は暮らせる額を渡そう。これに一世帯300万円。次に津波地震で家屋を失った人に住居回復の交付金として10年間のアパート費用1000万円を渡す。被災者の中の宅地所有者から土地を買い上げ、一軒当たり坪3万円の100坪で地権者1世帯当たり300万円で買い上げる。こう積み上げてみると、大雑把に一人当たり450万円の支給額となる。生活費と家屋再建費をひっくるめて2兆円位と推測される。各種の交付金や土地の買い上げ値段がもう少しあげても一人当たり1000万円として4兆円前後が目安となる。復興対策費用からその額を引いた残りが公共施設の復旧、企業活動再生支援、新しい街づくりの費用となる。大まかな目安だが、生活再建の枠組みを資金面で明らかにし、それを実行することが復興の第一歩となる。
3.地域復興の姿 
 生活再建の具体策とともに今後の地域像を明確にして明日への希望を示すが重要である。政府が確約した将来像があれば、被災地域がまとまってその将来像に向かって動き出す。仙台平野を除けば、三陸地域、福島浜通りの地域産業は、水産業、農業、酪農である。何よりも日本を代表する水産業の地域であり何をおいても漁港と水産加工施設の復旧が必要だ。将来の水産業を考えて、三陸海岸を先端的な養殖漁業の基地として資本集約型の水産業に発展させるのはどうだろう。漁業の後背地の農地は十分な高さまで覆土しそこを大規模な温室型農業に転換する。その後ろの森林地帯は広葉樹林に切り替えて短伐期でその森林を経営すること考える。広大な森林は木材チップの生産基地に変身する。木材チップはバイオマスの原料となる。第二次大戦前、この地域は広大な薪炭林であった。林道を拡充するためにも、零細な森林所有を整理して、大規模森林経営を可能にする土地所有権の再編が必要となる。被災地とその後背地を世界的に見ても先進的な第一次産業と再生エネルギー生産の場に変身させていくことを政府がまず確約する。そして思っていた以上に重要な東北の製造業を更に発展させていくことが必要だ。
 伊藤プランに感動しながら付け加えれば、テレビ番組でみた、「仙台港の水深を18−20mに浚渫し、韓国の釜山とも対抗できる日本の中核コンテナターミナルとして発展させれば、仙台と東北にさらに大きな未来が開けてくる」という麻生元総理の発言は本当に印象的だった。
4.高齢者 
 高齢病弱者は、まず災害に一番強いところに一番安全な建築物を作りそこで生活してもらう。2度と避難所の生活をさせてはならない。過疎地の高齢病弱者は、それぞれに地域の中心市街地の介護施設に移住してもらい集中型施設で面倒を見る。安全な市街地が街から遠ければ内陸部に介護と医療を中心に据えた福祉村を建設する。そうすれば健常な子供たちが親の介護に心を奪われることなく復興に注力できる。
5.市町村 
 多様な被災市町村に県や国が指示することは避けなければならない。市町村が、住民参加の復興計画を作れるように、都市計画や在野の専門家を市町村に派遣し、具体的なプロジェクトを早急に立ち上げるためのサポートすべきである。
6.田園都市計画 
 わが国では市街地は国土交通省の都市計画、農地は農水省の耕地整理として法律も事業も別々に運良されてきたが、農地の規制が緩すぎて市街地は農地に拡大してしまった。宅地が農地に散在することが農地の集約と大規模化を阻んでいる。この震災を契機に、省庁を超えて、宅地や農地を全体的にとらえた理想的な土地利用の秩序を被災地に作らなければならない。つまり高台の農地や林地を宅地化し、浸水した被災宅地の全てを農地にするといった区画整理を実体化する特別法が必要である。その特別法に基づいて防災特区を定め、国がそこの宅地・農地を買い上げ、区画整理後に民間に売却される。短期間に事業を完成するために公共によって地目の形状と権利関係をひとまず確定し、異議があれば公的地籍調査完了後に受付けて処理するといった特別措置を可能にすべきである。
7.防災の街づくり 
 街づくりの原則は、地形に合わせて三陸の農漁村地域と仙台平野の平坦な低地部に分けて考える。三陸の農漁村地域では、海岸の港付近には水産加工関連施設と最低限の商業施設や工場を置く。それらの就業場所は、高台の足元の平場に作られ、避難道路や昇降施設で高台に避難できるようにする。平場の建物は4階建て以上の耐震建築とし、波で壊されない十分な重みが必要である。高台は住まいの場所なので、住宅のほか役所、病院、コミュニティ施設、ショッピングセンターや商業施設が作られる。かつての低地にあった市街地は、生産性の高い農地に変えていく。あるいは平地林が合っても良い。
 平場が少し広い気仙沼においては就業地の内部に耐震、耐波性の高い建築群で作られた人工避難拠点を作り、中高層の事務所、倉庫、立体駐車場の集合体を鉄筋コンクリートで建築する。もう一つはそうした建物群の中心地に瓦礫と周辺の土石を利用した標高20m以上の札幌のモエレ公園のような人工の丘を作ることも考える。海に面した都市の中心市街地は低地に拡がり、そこがその都市の経済活動の源泉であり、賑わいの中心である。そこを全くの空地にはできない。大きくて重い中高層の鉄筋コンクリート建築物で市街地を組み立てていくべきだろう。たとえば1−2階は店舗と事務所、3階は機械室と倉庫、4-5階は健常者用住宅とするのはどうだろう。
 仙台平野の平地では、海岸線から2㎞の奥まったところにオランダ型防波堤にならった緩傾斜で台形の標高20m以上となる高規格道路を海岸線に並行して南北に細長く建設することを考える。その海岸側には農地、牧草地や平地林を配置して市街地は設けない。標高が20mまでの地帯の建築は全て3階建て以上の耐震建築を考え、それ以上の標高があるところには木造戸建て住宅も認めるようにする。
 石巻の市街地の都市再生像を描くのは難しい。港の近くの公共施設が集積している島状の丘は津波の被害を免れたことに着目し、瓦礫と残土を使って平坦な市街地の中に標高20m以上の小高い人工の丘を何か所か作り人工の避難所とする。丘の頂きの平坦部は集合住宅団地とする。病院があっても良い。避難所のふもとの低地は商業地域・工業地域とし、4階以上の耐震建築だけ立てられるようにする。市街地の外縁部分には、堤防型の高規格道路をめぐらす。
 こうした再開発のわかり易い絵姿や模型を作ってできるだけ速やかに被災市民に提示する。また、こうした防災地域制の考え方を全国の市町村に広めることが必要となる。
8.雇用の創出
 被災地域に対しは、たとえば3年間の雇用保障を政府が直ちに宣言する。一般的に言って、大災害の後では被災地の人口は減少する。被災者が全国に拡散することを前提とした雇用対策が必要である。確実に地方に残る世帯は高齢世帯となるため、被災地は超高齢社会となる可能性もある。水産業を主体とする第一次産業の若い担い手が足りなくなる可能性が生ずるため、外部から投資余力を持つ企業型農水産組織を誘致することを考える必要がある。
 仙台平野の沖積地は仙台市の地力を利用し、2次産業、3次産業の積極的な展開を積極的に支援すべきだろう。農業地域都市も将来性があることは間違いなく、今まで以上に底力のある産業と学術の都市として育ってほしい。
9.自給・自立型コミュニティーのための備え 
 被災者の生活で必要となったのは水と石油であった。特に水不足は深刻な問題だ。飲み水だけではなく、トイレや医療にも欠かせない。震災時にライフラインで復旧が一番遅れるのが上水道である。あらゆるコミュニティ施設、交番、郵便局、ガソリンスタンドに小規模の井戸を掘ってみてはどうだろうか。電導と手漕ぎポンプを併存させておく。またこれからは、すべてのコミュニティ施設と市街地の重要建築物には自家発電設備を備え常時1週間程度の石油を備蓄することを義務付ける。そして避難所となる可能性のあるところには屏風型のパーティションを常備したい。
 **************************
 こうしたビジョンを政治が示せば、復興はぐっと現実味を増してくるように思えてならない。この考え方を防災特区という形で全国に展開していけば、日本の再生は存外早いような気がする。被災者に最初に一括交付金を渡すとの考え方は、時代劇の中の名奉行が現れたかのような発想だ。